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自然妊娠力を高めるための治療とアドバイスを中心に安心と信頼と心の通うクリニック

1章:産婦人科医への道

 私は慈恵医大を卒業後、父の後を継ぐために産婦人科医となりました。父は東京・滝野川で開業していましたが、戦争でクリニックが焼失し、故郷の函館に移り再び開業しました。これが後の美馬産科婦人科病院の基盤となりました。私は父が専門にしていた更年期障害の治療を引き継ぐため、北海道各地で講演活動を始めました。北は釧路から南は千歳まで巡り、女性の心に寄り添う姿勢を貫いた結果、全国120ヵ所以上で活動が広がりました。この経験を通じて、多くの患者さんに信頼される医師へと成長できました。

 更年期障害の治療は、単に医学的なアプローチに留まらず、患者さんの心理的なケアも重視しました。講演活動を続 ける中で、地域の人々との深い絆が生まれ、医師としての使命感を強く感じるようになりました。また、講演会では現地の方々と直接交流することで、患者さんの本音や悩みに耳を傾けることができ、それが自身の治療技術向上に大きく役立ちました。

 

2章:目標と挑戦

 病院の成長を目指し、私は3つの目標を掲げました。

  1. 100件のお産を達成する
  2. 更年期障害の専門医として地域一番になる
  3. 不妊治療で北海道内トップ5に入る

 お産件数を増やすために、スタッフとともに創意工夫を重ね、患者さんに心のこもったサービスを提供しました。また、全国で初となる家族が出産後に宿泊できるファミリールームを導入するなど、先進的な取り組みを行いました。その結果、3年で目標を達成し、道南でトップ、北海道内でもトップ10に入る病院へと成長しました。

 また、HIS(Hospital Interpersonal Service)研究会に参加し、スタッフのモチベーション向上にも努めました。お産件数が月100件を超えた際には、臨時ボーナスを支給するなど、スタッフの努力を評価する体制を整えました。この取り組みが病院全体の活気を生み、患者さんにとって居心地の良い環境づくりに繋がりました。

 

3章:新しい挑戦と転機

 60歳を迎えた頃、さらなる挑戦として不妊治療に専念することを決意し、東京の加藤レディースクリニックで修行を積みました。その後、体外受精の技術を取り入れ、多くの不妊患者を救うことができました。韓国や中国からも患者が訪れるようになり、国際的な講演依頼も受けました。

 特に韓国での講演では、500人を超える聴衆の前で、不妊治療の成果と最新の技術について講演しました。その内容は現地メディアでも大きく取り上げられ、後に韓国語版の著書も出版されました。こうした国際的な活動を通じて、日本国内のみならず海外でも医療に貢献できたことは、大きな誇りです。

 しかし、順風満帆な人生に突然の試練が訪れます。大腸がんと診断され、手術を受けることに。その後も心筋梗塞や脳梗塞と闘いながら、病院経営を続けました。病気と向き合う中で多くの医療従事者に支えられ、再び医師としての使命に燃えることができました。

 

4章:東京での再スタート

 函館での長年の活動を終え、東京・赤坂に新しいクリニックを開業しました。当初は知名度が低く苦戦しましたが、「自然妊娠」をテーマにした本を出版し、赤坂駅近くに看板を設置するなどの広報活動を通じて患者さんが増加。次第に軌道に乗り、10年以上続くクリニックとなりました。

 その後、肝臓がんが再発し、再び有明病院で手術を受けました。幸運にも手術は成功し、無事に復帰。手術中には偶然にも自ら取り上げた赤ちゃんが看護師として働いており、感慨深いものがありました。

 クリニックの経営では、患者さん一人ひとりの声を大切にし、丁寧なカウンセリングを心がけました。また、男性更年期障害の治療にも力を入れ、働き盛りの男性を支える取り組みを進めています。こうした診療方針が評価され、現在では多くの患者さんが遠方からも訪れるようになりました。

 

5章:これからの展望

 81歳を迎えた今も現役で診療を続けています。患者さんの話に耳を傾け、心に寄り添うことで多くの方を元気にすることが私の生きがいです。

 「病気を診ずして病人を見よ」という慈恵医大の精神を胸に、これからも地域医療に貢献していきたいと思っています。また、男性更年期障害の治療にも力を入れ、働き盛りの男性を支えることを目指しています。

 私の人生は多くの人々に支えられてきました。これからも患者さんの笑顔を見るために、一歩一歩前進していきます。さらに、これからの医療に求められるものは「心のケア」であると考えています。単に病気を治すだけでなく、患者さんの精神的な支えとなることが医師の役割です。私は今後もこの信念を持ち続け、地域医療の発展に尽力していく所存です。

 最後に、趣味の一つであるファッションについても触れておきたいと思います。銀座で偶然出会った写真家により、「銀座のダンナズム」という雑誌のモデルに選ばれた経験は、私にとって新たな喜びでした。年齢を重ねてもおしゃれを楽しむことは心の活力となり、患者さんにも元気を与える要素になると信じています。

 これからも健康に気を配りつつ、自分自身も楽しみながら医療に邁進していきます。そして、人生の最後まで「あるがままに、こつこつと」を座右の銘に、一人でも多くの患者さんを笑顔にするために努力を続けていきたいと考えています。